怒涛のような1年だった。
気が付いたら1年が過ぎていた。今の外資系プライベートバンクへ転職して1年と2か月になるが、思い知ったのは業界の厳しさと難しさと市場の荒波、欧州通貨危機や米国債格下げ。さらには昨年3月の東日本大震災と福島原発事故。迷走する民主党政権。
つまりは、どれほど社会が混迷を極めている状況かを改めて思い知らされたと言う事。先の事は誰にもわからない。この日本の社会をリードしているとされる人々が責任を取ることを期待されておらず、かといって誰もこの状況を打開策を提示できずにいるということ。そしてそんな状況は実は日本に留まらず世界的な情勢になりつつあると思われる事。世界中の政治が混迷し迷走しつつある。
唯一の解決方法は、正攻法としてより一層の相互理解と共有できる価値観や国際社会?世界社会的な目標設定を行うこと。それを実行しない限り、この混迷は続くのではないか。この状況の原因であり、解決策を実行可能にするのは、ネットとコンピュータとそれを繋いで世界中の人間の知的作業を加速しつ続けるITとソフト産業、そしてそれを取り込み、利用し、その進化を加速させる企業や個人の営みだと思う。
自分自身で環境を変えておきながら、一番変れないのが、変化に対応する為に時間を必要とするのが人であり、人間の社会であり、今はその変化への対応の為の調整期なのではないか。加速する情報の量と伝達速度、限りなく増えてゆく選択肢、蓄積してゆく情報と判断の記憶、忘れられない過去と蘇る忘れ去られた過去。人間社会が受容を強要される多様性と、失われる一貫性や包括性。無数の収束点が拡散していくヴァーチャルな世界。強まり、そして拡散し、収束する人と人の絆。
私が働いてきた金融業界に限らず、他の様々な産業においても、個人の暮らしにおいても、人と人との係わり方とその蓄積の仕方や広がり方が根本的に変質しつつある。人と人との関係が、その密度と速度と摩擦が加速度的に増してきて、対応できずに持て余している。また、その対応や調整の方法や程度が個人によって大きく異なり、特に世代間のギャップは大きいのだが、そのギャップについての社会的認識が世代間で共有されていない。新しい世代は気が付いたらスマホのアプリで様々な情報や人間に自由にアクセスしてそれをネット上で蓄積して、なおかつ流す事が出来る世代で、古い世代は気が付いた時にあったのが白黒テレビと固定のダイヤル黒電話だった世代。
金融の世界はそれ以前から類似の変化を起こしている。溢れるマネーサプライと投資銀行が金融工学と称して指南し運用する、デリバティブによりレバレッジが掛けられ無制限に増幅して加速する津波のような世界中の投資マネー。これもそうだ、密度と摩擦と速度が加速度的に増していて、世界中の金融当局も、個人を含む投資家も対応しかねている。
とても難しい事かもしれないが、今一度、今起きている事をその流れと波の中から取り出して、その流れと波の行方を見据え、今の立ち位置と自分自身の持つ力とを見直し、少なくとも押し流されぬよう、溺れぬよう、全力を尽くすだけ。
いやはやとんでもない一年が、いや、新しい時代が始まる。
2012年1月2日月曜日
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