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2010年8月22日日曜日

2001 - 2009 あの頃には、もどれない - 続く変化の時代

2001年の夏。1999年から立ち上げた英国金融法人の日本の運用子会社をやむをえない事情で去った後、米系の老舗運用会社へ移籍。不運にも転職した2ヶ月後にその会社の身売りが発表され、翌年春にその会社は消滅することに。その間、911の米国多発テロが起きたが、既に予定していたニューヨーク本社の訪問を直後に敢行した。前年のITバブル崩壊、2001年の911テロ、2003年3月に始まったイラク戦争と世界の仕組みの再考を促すような事件が続く。2002年春の勤務先米系運用会社の売却にあたり、古巣の米銀系信託銀行へ職を得る。全てが振り出しに戻った。
日本の金融業界は、バブル経済の後始末を2001年4月の住友銀行とさくら銀行の合併、2005年10月の東京三菱によるUFJの救済合併など、行政主導の金融機関の再編により不良債権問題にもけりをつけようとしていた。金融庁主導の資産査定の厳格化や独立した金融検査の実施による経営の独立化が進んでいた。
同時に外資系金融機関にも同様のメスが入れられた。本国では米国のSOX法対応や厳しくなるBIS規制への対応を進めているくせに、日本の金融当局を見くびっていた外資系金融や外資系証券は検査対応に追われた。2004年のシティグループ等のスキャンダルや、次々と挙げられた類似の事象に、日本の金融業界は一気にコンプライアンスの時代に入っていった。そんな中で、2004年12月の改正信託業法の施行、2007年9月の金融商品取引法や新信託法の施行、関連諸法例の改正など。外資を含む金融機関や証券会社のビジネスをめぐる環境は大きく変わった。
世界中で、法令遵守にかかるリスクとコストは上昇し、またサブプライム問題を原因として起きた2008年9月のリーマンショックは業界の統合と淘汰を進めた。
2002年に戻った米系の信託は2004年秋に廃業を決め、2005年の夏に別の米系のコンサルティング業務を兼営するユニークな運用会社へ、さらに景気の盛り返していた2006年の夏には世界最大級の米国の資産運用会社の持つ米系信託へ移籍した。しかし世の中の流れは統合、淘汰へ向かっていた。信託は運用業務を資産運用会社へ移管したうえで売却され、移った運用会社は気が付いたら、別の世界最大級の独立系資産運用会社に買収されようとしていた。

2009年夏。

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