アメリカで初めてのアフリカ系大統領のオバマ大統領が誕生し、日本では戦後初めての非自民の単独で衆院過半数を占める与党の民主党政権が誕生した。
これが新しい時代の到来なのか、混沌の末の試行錯誤なのかは解らない。今のところは。
世界と日本は交錯しながらその構造と仕組と成り立ちを変えようてしている。
なし崩し的に溶け合おうとして溶け合えない、混ざろうとして、混ざりきれない。それぞれはそれぞれとして、個別に存在感を示しながら、それを仕切ろうとしていた壁が、仕切りが低くなり、やがては全体が一つの器の中に共存する。
古い言葉でいえば弁証法か。一つになろうとして、ぶつかって、溶け合って、あるいは溶け合えなくて、また分裂していく。それぞれが全く別の新しいものとして。
2010年10月9日土曜日
2010年8月22日日曜日
2001 - 2009 あの頃には、もどれない - 続く変化の時代
2001年の夏。1999年から立ち上げた英国金融法人の日本の運用子会社をやむをえない事情で去った後、米系の老舗運用会社へ移籍。不運にも転職した2ヶ月後にその会社の身売りが発表され、翌年春にその会社は消滅することに。その間、911の米国多発テロが起きたが、既に予定していたニューヨーク本社の訪問を直後に敢行した。前年のITバブル崩壊、2001年の911テロ、2003年3月に始まったイラク戦争と世界の仕組みの再考を促すような事件が続く。2002年春の勤務先米系運用会社の売却にあたり、古巣の米銀系信託銀行へ職を得る。全てが振り出しに戻った。
日本の金融業界は、バブル経済の後始末を2001年4月の住友銀行とさくら銀行の合併、2005年10月の東京三菱によるUFJの救済合併など、行政主導の金融機関の再編により不良債権問題にもけりをつけようとしていた。金融庁主導の資産査定の厳格化や独立した金融検査の実施による経営の独立化が進んでいた。
同時に外資系金融機関にも同様のメスが入れられた。本国では米国のSOX法対応や厳しくなるBIS規制への対応を進めているくせに、日本の金融当局を見くびっていた外資系金融や外資系証券は検査対応に追われた。2004年のシティグループ等のスキャンダルや、次々と挙げられた類似の事象に、日本の金融業界は一気にコンプライアンスの時代に入っていった。そんな中で、2004年12月の改正信託業法の施行、2007年9月の金融商品取引法や新信託法の施行、関連諸法例の改正など。外資を含む金融機関や証券会社のビジネスをめぐる環境は大きく変わった。
世界中で、法令遵守にかかるリスクとコストは上昇し、またサブプライム問題を原因として起きた2008年9月のリーマンショックは業界の統合と淘汰を進めた。
2002年に戻った米系の信託は2004年秋に廃業を決め、2005年の夏に別の米系のコンサルティング業務を兼営するユニークな運用会社へ、さらに景気の盛り返していた2006年の夏には世界最大級の米国の資産運用会社の持つ米系信託へ移籍した。しかし世の中の流れは統合、淘汰へ向かっていた。信託は運用業務を資産運用会社へ移管したうえで売却され、移った運用会社は気が付いたら、別の世界最大級の独立系資産運用会社に買収されようとしていた。
2009年夏。
日本の金融業界は、バブル経済の後始末を2001年4月の住友銀行とさくら銀行の合併、2005年10月の東京三菱によるUFJの救済合併など、行政主導の金融機関の再編により不良債権問題にもけりをつけようとしていた。金融庁主導の資産査定の厳格化や独立した金融検査の実施による経営の独立化が進んでいた。
同時に外資系金融機関にも同様のメスが入れられた。本国では米国のSOX法対応や厳しくなるBIS規制への対応を進めているくせに、日本の金融当局を見くびっていた外資系金融や外資系証券は検査対応に追われた。2004年のシティグループ等のスキャンダルや、次々と挙げられた類似の事象に、日本の金融業界は一気にコンプライアンスの時代に入っていった。そんな中で、2004年12月の改正信託業法の施行、2007年9月の金融商品取引法や新信託法の施行、関連諸法例の改正など。外資を含む金融機関や証券会社のビジネスをめぐる環境は大きく変わった。
世界中で、法令遵守にかかるリスクとコストは上昇し、またサブプライム問題を原因として起きた2008年9月のリーマンショックは業界の統合と淘汰を進めた。
2002年に戻った米系の信託は2004年秋に廃業を決め、2005年の夏に別の米系のコンサルティング業務を兼営するユニークな運用会社へ、さらに景気の盛り返していた2006年の夏には世界最大級の米国の資産運用会社の持つ米系信託へ移籍した。しかし世の中の流れは統合、淘汰へ向かっていた。信託は運用業務を資産運用会社へ移管したうえで売却され、移った運用会社は気が付いたら、別の世界最大級の独立系資産運用会社に買収されようとしていた。
2009年夏。
2010年7月9日金曜日
2005 - 2008 サブプライムとBRICs
ITバブルのしぼんだ後の米国、誰も予想しなかったあの、911後の世界。微妙にずれてくる大国と小国、先進国と途上国の関係。
世界は今までになくお互いに密接に繋がっていて、どの国も、一国だけでは、いや、他の国無くしては存在しえない。相互依存の関係は明白なのに、政治家や官僚たちの存在意義を守るために存在する国境。EUを突いては振り回す統合と相互依存の危うい関係。どちらが先でどちらがあとなのか。20世紀までは、国と国とは点と線でお互いに繋がっていたが、今や面で繋がり、一部ではお互いの中に侵入してその部分を共有していたりする。
新興国?BRICs?インターネットや交通通信網で繋がった世界は、同じ速さで携帯やパソコンが世界中に浸透し、情報の伝達や各種形を変えたソフトの普及は、今や先進国も後進国もなくなっている。アメリカで不動産バブルが起きれば、これはリアルタイムで他の国の市場に直接影響を与え、またその反作用も受ける。アメリカに限らない。
世界は今までになくお互いに密接に繋がっていて、どの国も、一国だけでは、いや、他の国無くしては存在しえない。相互依存の関係は明白なのに、政治家や官僚たちの存在意義を守るために存在する国境。EUを突いては振り回す統合と相互依存の危うい関係。どちらが先でどちらがあとなのか。20世紀までは、国と国とは点と線でお互いに繋がっていたが、今や面で繋がり、一部ではお互いの中に侵入してその部分を共有していたりする。
新興国?BRICs?インターネットや交通通信網で繋がった世界は、同じ速さで携帯やパソコンが世界中に浸透し、情報の伝達や各種形を変えたソフトの普及は、今や先進国も後進国もなくなっている。アメリカで不動産バブルが起きれば、これはリアルタイムで他の国の市場に直接影響を与え、またその反作用も受ける。アメリカに限らない。
2010年7月7日水曜日
2002 - 2005 米国多発テロ以降の世界
2001年の911以降、世界は変った。ITバブルは終わり、企業経営の倫理が問われ、エンロンやワールドコム、シティブループなどの経営者の倫理が問われた。米国ではSOX法が施行され、企業の内部管理体制、適宜、適切な経営内容の開示が求められるようになった。既に崩れかけていた何かが、音を立てて崩れ去り、そのあとに砂上の楼閣を築こうとするような作業に思えた。
日本の金融業界はやはり崩壊の危機にあった。外資系はなおさら厳しい競争を強いられていた。911以降の膠着する世界貿易と世界経済。回復しない世界景気に積み上がる不良債権に日本の銀行は押し潰されんばかりだった。弱者救済や相互補完という名目で数ある都市銀行が国による資本の注入、金融庁の指導に背中を押され、メガバンクをめざし一年以上の時間を掛けかけて合併の準備して、合併後さらに数年をかけて営業店や業務の統合を果たし、さらに何年もかけて経営統合を進めようとしていた。国家挙げての日本のダメダメ銀行救済プロジェクト。そしてダメダメ銀行の融資先だったダメダメ会社の多くはゾンビ企業として税金を食いつぶし、これまた国家プロジェクトの再生機構に放り込まれて、分別されて、運が良ければリサイクルされた。
この間、低迷する先進各国経済をよそに、その活力を奪うかのように、またその機能不全を補うかのようにインド、中国、ロシア、ブラジル、さらに東欧や東南アジア、南アフリカなどにお金と人と仕事がながれ、見た目経済は目覚ましい伸びを見せた。ITバブルで張り巡らされたインターネットのデータ通信網と国際物流網が先進国とその他の地域を結び、様々なものを結びつけた。それまでは考えられない、あり得ない組み合わせのコラボレーションや情報の流れ、プロセスの革命がこれらの間で起こった。お金と情報とが世界中で最も有利だとされるところに瞬く間に集まり、最後についていくのは人間だったかもしれない。
そんな中で日本は、少しずつ、見えない程度に、感じない程度に、しかし結果的には驚くべきスピードで世界から取り残されていった。
日本の金融業界はやはり崩壊の危機にあった。外資系はなおさら厳しい競争を強いられていた。911以降の膠着する世界貿易と世界経済。回復しない世界景気に積み上がる不良債権に日本の銀行は押し潰されんばかりだった。弱者救済や相互補完という名目で数ある都市銀行が国による資本の注入、金融庁の指導に背中を押され、メガバンクをめざし一年以上の時間を掛けかけて合併の準備して、合併後さらに数年をかけて営業店や業務の統合を果たし、さらに何年もかけて経営統合を進めようとしていた。国家挙げての日本のダメダメ銀行救済プロジェクト。そしてダメダメ銀行の融資先だったダメダメ会社の多くはゾンビ企業として税金を食いつぶし、これまた国家プロジェクトの再生機構に放り込まれて、分別されて、運が良ければリサイクルされた。
この間、低迷する先進各国経済をよそに、その活力を奪うかのように、またその機能不全を補うかのようにインド、中国、ロシア、ブラジル、さらに東欧や東南アジア、南アフリカなどにお金と人と仕事がながれ、見た目経済は目覚ましい伸びを見せた。ITバブルで張り巡らされたインターネットのデータ通信網と国際物流網が先進国とその他の地域を結び、様々なものを結びつけた。それまでは考えられない、あり得ない組み合わせのコラボレーションや情報の流れ、プロセスの革命がこれらの間で起こった。お金と情報とが世界中で最も有利だとされるところに瞬く間に集まり、最後についていくのは人間だったかもしれない。
そんな中で日本は、少しずつ、見えない程度に、感じない程度に、しかし結果的には驚くべきスピードで世界から取り残されていった。
2010年6月21日月曜日
1999 - 2001 ITバブルから911
世界はインターネットのインフラ投資、携帯電話の爆発的な普及に加えて、2000年対応、ミレニアム対応と、IT業界に関係する金融や不動産を含むバブル経済に沸いていた。
日本では投資信託法や証券取引法の改正による一種の投資バブルとITバブルが重なり合い、花形ファンドマネジャーや強大な外資の運用会社による進出、大型投信の設定に沸いていた。先のバブルから10年ほども経っていないというのに、市場の構造の不備もあり、IT関連企業を中心に再びバブル経済が広がって、そしてはじけた。そして、2001年の911の同時多発テロが世界の交通、物流に急ブレーキをかけた。日本ではメガバンクのさらなる再編が起き、金融機関の淘汰が進んだ。
しかし、しぼんだITバブルは格安の光通信インフラを世界中に遺産として残すことになった。インドや中国を中心とする新興国、BRICsと呼ばれる国々は、新しく、格安の通信インフラと先進国からの投資マネーを受け入れ欧米に代わる世界経済の牽引車となりつつあった。
日本では投資信託法や証券取引法の改正による一種の投資バブルとITバブルが重なり合い、花形ファンドマネジャーや強大な外資の運用会社による進出、大型投信の設定に沸いていた。先のバブルから10年ほども経っていないというのに、市場の構造の不備もあり、IT関連企業を中心に再びバブル経済が広がって、そしてはじけた。そして、2001年の911の同時多発テロが世界の交通、物流に急ブレーキをかけた。日本ではメガバンクのさらなる再編が起き、金融機関の淘汰が進んだ。
しかし、しぼんだITバブルは格安の光通信インフラを世界中に遺産として残すことになった。インドや中国を中心とする新興国、BRICsと呼ばれる国々は、新しく、格安の通信インフラと先進国からの投資マネーを受け入れ欧米に代わる世界経済の牽引車となりつつあった。
2010年5月30日日曜日
1995 - 2000 改正投信法とITバブル
1998年に証券取引法とともに投資法が改正された。
それまで免許を必要としていた証券業は登録に、同様に免許が必要だった投信委託業は認可へその基準が緩和された。また登録金融機関として銀行、生損保が投信販売を開始。銀行系、生損保系、外資系の投信会社を相次いで設立され、営業を開始した。それまで証券会社にしか版図を持てなかった投信会社は、一気に銀行へ販売委託の営業攻勢をかけた。
系列の証券会社などに縛られない外資系の投信会社は、金融グループにあるものはそのグループの名をうたい文句に、外資独立系の投信会社(当時はまだ本邦の独立系は皆無だった)の大手は本国の仕組みを持ち込み、そうでないところも独自の運用スタイルで、大手金融グループ、地銀、地方の信金信組に至るまで全国行脚の投信販売もう開拓に走った。
時はITバブルが走り出した1998年12月。システム業界の2000年問題対応、携帯電話やインターネットの普及で、IT業界がその他の産業を巻き込んで大きな相場を作ろうとしていた。
80年代後半の資産バブル、90年代終わりのITバブル。一生に2度のバブルを経験した。恩恵を被ったことは無いけれど、人の愚かさとエネルギーの凄まじさを見せつけられた。社会のシステムや人の理性のどこかに歪みが生じると、すごいエネルギーが流れ込み、荒れ狂い、やがて社会全体と最も弱いところに大きな傷を残して一気に収束してしまう。
それまで免許を必要としていた証券業は登録に、同様に免許が必要だった投信委託業は認可へその基準が緩和された。また登録金融機関として銀行、生損保が投信販売を開始。銀行系、生損保系、外資系の投信会社を相次いで設立され、営業を開始した。それまで証券会社にしか版図を持てなかった投信会社は、一気に銀行へ販売委託の営業攻勢をかけた。
系列の証券会社などに縛られない外資系の投信会社は、金融グループにあるものはそのグループの名をうたい文句に、外資独立系の投信会社(当時はまだ本邦の独立系は皆無だった)の大手は本国の仕組みを持ち込み、そうでないところも独自の運用スタイルで、大手金融グループ、地銀、地方の信金信組に至るまで全国行脚の投信販売もう開拓に走った。
時はITバブルが走り出した1998年12月。システム業界の2000年問題対応、携帯電話やインターネットの普及で、IT業界がその他の産業を巻き込んで大きな相場を作ろうとしていた。
80年代後半の資産バブル、90年代終わりのITバブル。一生に2度のバブルを経験した。恩恵を被ったことは無いけれど、人の愚かさとエネルギーの凄まじさを見せつけられた。社会のシステムや人の理性のどこかに歪みが生じると、すごいエネルギーが流れ込み、荒れ狂い、やがて社会全体と最も弱いところに大きな傷を残して一気に収束してしまう。
2010年5月22日土曜日
1995 - 2001 投信と投資顧問の時代
1995年、新卒で入った米系の金融グループは本国の不動産バブルでダメージを受けてコアビジネスへの回帰を目指していた。グループ内での資産運用ビジネスの地位は極端に低下した。アジアの出先の日本での信託を器にした、重たくて収益性の低いビジネスは停滞していた。
2月に移籍した先は欧州系の資産運用をコアのビジネスとする金融グループ。日本でも信託、投資顧問、投資信託の3つの会社を持ち、日本の業界での最先端を目指していた。特に外資系や独立系の運用会社に解放されたばかりの投資信託ビジネスは、フロンティアだった。新しい試みを実現しようとしたが、旧投信法の下、旧来の証券会社しか販売チャンネルとして与えられていない不自由さ、販売会社がリードする旧来のルールやしきたりに苦しんだ。信託銀行の立ち上げ以上に苦しい、人生二度目の大きなチャレンジだった。
そんな中でのさらなる金融の自由化が進んだ。投資顧問業との兼業が認可されるようになり、さらに1998年には投信法が大幅に改正され、銀行による窓販ルートの開拓、認可基準の緩和などがこの間に一気に進んだ。銀行による販売業務への進出、銀行系、生保系、その他独立系の投信会社の設立、参入。
2005年に移籍したのはその欧州系金融グループの信託、その後すぐに投信会社へ、そして投資顧問会社との統合準備、グループの提携先の日本法人の投信ビジネス立ち上げの支援と、環境の変化そのままにめまぐるしく役割は変わっていった。
1999年に英系保険グループが、そんな経験を見込んで、その日本現地法人の設立とビジネスの認可取得、投信ビジネスの立ち上げへの参加の要請をしてきた。それまでの経験を全て生かせるチャンスが到来した。
2月に移籍した先は欧州系の資産運用をコアのビジネスとする金融グループ。日本でも信託、投資顧問、投資信託の3つの会社を持ち、日本の業界での最先端を目指していた。特に外資系や独立系の運用会社に解放されたばかりの投資信託ビジネスは、フロンティアだった。新しい試みを実現しようとしたが、旧投信法の下、旧来の証券会社しか販売チャンネルとして与えられていない不自由さ、販売会社がリードする旧来のルールやしきたりに苦しんだ。信託銀行の立ち上げ以上に苦しい、人生二度目の大きなチャレンジだった。
そんな中でのさらなる金融の自由化が進んだ。投資顧問業との兼業が認可されるようになり、さらに1998年には投信法が大幅に改正され、銀行による窓販ルートの開拓、認可基準の緩和などがこの間に一気に進んだ。銀行による販売業務への進出、銀行系、生保系、その他独立系の投信会社の設立、参入。
2005年に移籍したのはその欧州系金融グループの信託、その後すぐに投信会社へ、そして投資顧問会社との統合準備、グループの提携先の日本法人の投信ビジネス立ち上げの支援と、環境の変化そのままにめまぐるしく役割は変わっていった。
1999年に英系保険グループが、そんな経験を見込んで、その日本現地法人の設立とビジネスの認可取得、投信ビジネスの立ち上げへの参加の要請をしてきた。それまでの経験を全て生かせるチャンスが到来した。
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