今年の受験生で、まさに入試の真っ最中である娘に不意に尋ねられた。「お父さんて、夢があったの?」と。
「そりゃあったさ!」反射的に答えた後で、はて、何だったかと思いあぐねていた。娘は当然ながら、「それ、何だったの?」と聞いてきたので、「そんなもん、とっくに忘れた。」と、とっさに答えて会話は打ち切られた。
実は小さな夢があった。後になって風呂に入りながら過去を振り返ってみたら、大学の頃に就職活動をしていた頃、ぼんやりと心の中に描いていた将来の自分の姿があった。世界を股にかけるビジネスマン。今から思えば、具体性のないぼんやりした話で、どんな仕事をやりたいとか、自分の能力とか、やりたいと思っていた事となどとは全く関連性が無かった。単に、格好の良い憧れだけのイメージだった。
関西の纏わりつくようなベタッとした空気を逃れるようにして入った東京の大学だったが、日本の各地方から学生が集まる大学だったにも拘らず、卒業して就職する頃には日本の企業戦士の士官学校よろしく有名な大企業に就職することを唯一の共通の価値観として持ち合わせるような処だった。
多種多様の同級生と過ごした学生時代にも拘らず、その後進む道が多種多様な企業とは言え、誰も具体的な未来は見えてもおらず、新入社員に近いような先輩社員の話だけを頼りに、日本の一部上場の大会社に殆どの学生たちが呑み込まれていた。どこの会社の先輩の話を聞いても具体的にその会社の何が良いのか、面白いのか、トンと見当がつかなかった。今から思えば、自分でそれを見つけることを放棄して行くことが企業戦士になると言う事だったのかもしれない。
どの会社に行っても、先のことが判らないのであれば、日本の企業戦士でなくていられそうな海外での仕事にあこがれた。英語や第二外国語も、貿易の勉強も何も、何の準備もしていないくせに出来るだけ海外で仕事の出来るところが良い、などと考えていた。日本の企業戦士、サラリーマンと言う枠に嵌められたくなかっただけなのかもしれない。気が付いたら、世界を股にかけて仕事をするビジネスマンというイメージになっていたのかもしれない。
正直なところ、あの頃の日本は今とは違って、自分のやりたい事や能力を発揮できる仕事とか、それほど選択肢はなかったように思う。世代の違いや生活や教育環境の違いでそれなりの差はあるものの、第二次大戦の敗戦からの復興、高度成長、オイルショックを乗り切った日本経済が絶頂期へと駆け上る助走から、離陸、高度安定飛行への急上昇中の頃だ。
黙って会社の言う通りやっていれば間違いはない。大きくて有名な会社の方が受けるメリットは大きい、小さい会社や新しい会社は不安定で労働条件も厳しい。そんな価値観とも言えないような世間の空気があちこちで子供達や若者、サラリーマン自身さえをも覆っていた。結果的にはそのまま80年代後半のバブルに突っ走り、日本の社会はその後の失われた20年と言われる乱気流の時代を迎えることになる。大きくて有名な会社でも、先のことは分からない。新しくて小さな会社でも、気が付いたら世界で有名な大企業になっているところもある。
今となっては昔である。
今と違ってね、あの頃はそんな具体的な夢ややりたい事なんで、誰も言えなかったし、考えることを避けていたんだよ、と。子供たちには言い訳に聞こえるかもしれないけれど、そうだったんだよと思う。
自分の夢の話に戻ろう。
世界を股にかけたビジネスマンになる夢は、気が付いたら叶っていた。36歳の頃には外資系企業の日本法人の部長、40歳ではやはり外資系企業の日本法人の取締役になっていた。香港でのシステム開発チームに加わったし、イギリスでの2か月の研修にも参加した。東京の業務フローの見直しの為ニューヨークのグループ会社へ出張したり、香港やシンガポールでのグループのアジア会議へ出席してアジア戦略を話し合ったり、東京の状況を報告をしたりもした。パスポートは用紙を追加しないと足りなくなっていた。
しかし、夢は叶ったところからが本当の苦しみが始まる。いや、始まったように思う。現実はそんなに簡単でもないし、甘くもない。と言うよりも、そんなものは単に自分の成りたかった将来のイメージに過ぎなくて、近付けば近付くほどそれはより具体的で、現実的で、超えるべき壁や対処すべき問題がより明確になってくる。
世界を股にかけていても、その組織や人を動かせなくては意味がない。相手の言葉が解るだけでは誰も動かせず、納得もしてもらえず、理解さえしてもらえない。相手の言葉で分かるよう、納得できるよう、動いてもらえるように、行動と言葉を尽くして相手をしないと何も変えられない。
その為に出来る事をすべて尽くして、備える。40歳を過ぎてからの方がその夢への思いは強くなった気がする。マネジメントの書を読み、アメリカの大学院をネットで卒業し、職種を変え、会社も幾つか変わることになった。
未だ、夢の途中。
2014年2月2日日曜日
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