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2010年4月5日月曜日

1989 - 1995 ベルリンの壁とバブル景気の崩壊の後 - 失われた10年

1989年11月9日のベルリンの壁崩壊が象徴する東西冷戦の終焉と前後して日本のバブル景気がピークを迎えていた。でも、誰もそれが失われた20年の始まりだとは、すぐには気付かなかった。

日本がバブルにうかれ、それがはじけたことに気がつかぬ間に、民主化と経済の拡大が進んだ東アジアと、東西冷戦の終焉により旺盛な復興改革需要に湧いた東ヨーロッパ。世界の資金の大きな流れは相当程度に変化していた。しかしその急激で大きな変化によるひずみは、88年8月のロシア通貨危機、92年9月、93年7月の二度の欧州通貨危機、94年12月のメキシコ通貨危機へと繋がっていった。世界ではこれらのひずみをその管理下で望む方向での解決を図ろうと、アメリカはその影響力を発揮すべく、第三世界に牛耳られていた国連とは距離を置くGATTの延長線として95年に発足したWTO(世界貿易機構)においてその影響力を駆使し、自国有利のルールに基づく国際貿易自由化を加速しようとしていた。しかし、ミレニアムを迎えようとする99年のシアトル閣僚会議は、時の流れを止めて、変わらない夢を求める者たちによって予定されていた成果を得ることが出来ず、一旦この流れは収まったかに見えた。

80年代に蒔かれた変化の種は90年代に世界を大きく動かして行ったと同時に、ぼくの人生を大きく変えていくことになった。バブルのはじけた後の日本の金融経済の構造変化や世界の資金の流れの変化も知らず、個人的な興味から金融法人営業部に自ら異動したぼくを待っていたのは、塩漬けの金融資産を抱え、広げすぎた外国投資からの撤退するタイミングを見計らっていた日本の銀行、信託をはじめとする金融機関だった。

そんな激しい金融業界の構造変化、資金の流れの変化の流れに翻弄され、3年を待たずして次の流れの中へ身を投じることになった。外資系特有の内からの圧力と、外からの圧力と、絶妙なタイミングだった。

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