93年には戦後初めて非自民内閣の細川内閣が発足し、バブル景気で惰性のように伸び切った日本の社会にも変化の兆しが表れた。95年には日本人で単身初めて大リーグへ挑戦していた野茂英雄が、アメリカの大リーグで新人王獲得した。しかし同じころ、95年の神戸大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、日本の社会そのものも大いに揺れた時代だった。
それまで資産運用の中心だった法人の財務部や銀行、信託を中心とする機関投資家は、弾けたバブルから立ち直るまでの間、実際にはほとんどが二度と立ち直れずに、資産運用の市場からは遠のいていた。資金の出し手として代わって登場したのは、黙っていても毎月の掛け金を積み立ててくる企業年金や国民年金、郵便局や生命保険などの長期の積立資金の運用を預かる年金や機関投資家だった。1986年に施行された投資顧問業法により、当初は機関投資家や法人の資金運用を専門に行う専業の投資顧問業者が生まれ、バブル期を中心に証券系、銀行系、生損保系、外資金融系と外資独立系の投資顧問会社が乱立し、厚生年金法などの改正により、年金の資産運用へとそのビジネスを急速に拡大していった。
様々な業態から入り乱れて参入したこれらの投資顧問会社は、公的年金や厚生年金基金・適格年金の資金の運用委託を受けて一気に市場に溢れ出した。証券系をはじめ銀行系、生損保系、独立系、そして同様に外資系でも証券系、銀行系、生損保系などの投資顧問業者がそれぞれが得意とする、あるいはなけなしの運用手法を駆使して市場に参入を果たした。
また90年にはそれまで証券系10数社で独占してきた投資信託委託業の免許を初めて外資系の独立運用会社3社に対して与えられ、その後92年にさらに規制が緩和され、銀行系、生損保系の投信会社が誕生した。また、97年には投資顧問業と投資信託業の兼業も認められ、また98年12月の投信法や証券取引法の大改正により投信の銀行窓販などが始まると、その規模や数は一気に拡大していった。
時はまさに2000年問題をピークとした、ウィンドウズの普及期、インターネットの黎明期、95年の神戸大震災を機に一気に普及した携帯電話など、ITバブルがこれらの投資運用業者の業容の拡大に拍車をかけていた。
2010年4月13日火曜日
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